第三回上映会情報

 

キルギス(クルグズ)映画の過去と現在

遊牧民の伝統音楽がスクリーンに甦る、世界初のクルグズ語ミュージカル映画『樹の詩』をはじめ、キルギス映画の名作を計4本上映します


日にち:2020年2月21日、22日

場所:アテネ・フランセ文化センター(御茶ノ水)

時間:2020年2月21日(金)
17:00『赤いりんご』(83分/35mm)
19:00『白い汽船』(100分/35mm)
2020年2月22日(土)
14:00『白い豹の影』(134分/35mm)
16:45『樹の詩』(92分/DCP)
18:30 シンポジウム(60分を予定)コムズ奏者のカリマン・ウメトバエワさん、民族音楽学者の山下正美さんをお呼びして、カリマンさんにはコムズと口琴でそれぞれ曲を披露していただく予定です。(解説:梶山祐治、司会:奈倉有里)
料金:一般=一回券1500円/二回券2500円

シニア・学生=一回券1200円
アテネ・フランセ文化センター会員=一回券1000円

※各回入替制、当日券のみ販売
※二回券は二作品ご覧いただけます
※シンポジウムはどなたでもご入場いただけます

 

上映作品情報

『赤いりんご(Красное яблоко)』(監督/トロムーシ・オケーエフ、1975)
国民的俳優チョクモロフが、妻子がありながら若い頃に出会った女性のイメージを捨て切れず、常に過去への思いに引きずられている男テミールを演じている。ソ連時代のクルグズ映画には珍しく都市を舞台にした作品で、首都フルンゼの大通りでの貴重なメーデーの様子が収められている。TV映像として登場して主人公を深い物思いへと誘う、「20世紀のホメロス」の異名をもったクルグズスタンの詩人カララエフが朗誦する民族叙事詩マナスは圧巻。(原語:ロシア語、クルグズ語)

『白い汽船(Белый пароход)』(監督/ボロトベク・シャムシエフ、1970)
イシク・クル湖畔の森林保護区に祖父母と共に暮らす少年は、船員の父が迎えに来るのを寂しさに耐えて待つ。年頃の友達もいない少年は、想像を逞しくして空想の世界に遊び、祖父が伝えるクルグズ人のルーツである母鹿の伝説を信じている。少年の孤独感が強く表明された脚本には、幼少時に父が逮捕され二度と会えなくなった原作者の個人的体験が反映している。アイトマートフも高く評価した、クルグズ映画を代表する作品。(原語:ロシア語)

『白い豹の影(Потомок белого барса)』(監督/トロムーシ・オケーエフ、1984)
古来より先祖の誓いを守って余計な殺生をせず暮らしてきた、峻険な岩山に住む白豹族の一代記。寒さの厳しいある冬、食料も尽き果てたことから、一族を率いるコジョジャシは下山して麓に住む一族に助けを乞う。翌春、返礼として訪れた結婚式の場で遊牧民の襲撃を受けた彼は誓いを破ってしまい、白豹族は自然の厳しい返礼を受けることになる。シャムシエフと並んでソ連時代のクルグズ映画を牽引したオケーエフの代表作。(原語:ロシア語、クルグズ語)

『樹の詩(Дарак ыры)』(監督/アイベク・ダイィルベコフ、2018)「日本初上映」
18世紀、天山山脈の麓のある村で、幾世代にもわたって崇められてきた聖なる樹があり、女たちが平和の祈りを捧げていた。この土地の有力者バザルバイにはベギマイという美しい娘がいて、未亡人ダリイカの息子エセンと親しくしていた。二人の仲を認めないバザルバイを前にして、エセンは馬上の闘い「キョク・ボル」に敗れ、一族を追われることになる。宴を準備する薪として聖なる樹も伐採され、この地を不吉な雲が覆う。ベギマイを取り戻すため、エセンは荒野で出会った孤独な狩人に闘いの教えを乞うのだった。美しい自然を背景に、コムズをはじめとするクルグズスタンの伝統楽器によって奏でられる、クルグズ語で製作された初のミュージカル映画。(原語:クルグズ語)

企画:KINØアテネ・フランセ文化センター

 

第二回上映会情報

アレクサンドル・メドヴェトキン監督作品『新しいモスクワ』(日本劇場初上映)『幸福』上映会とシンポジウム


日にち:2018年 8月4日(土)

場所:アテネ・フランセ文化センター(御茶ノ水)

時間:14:00〜『幸福』(65分)

15:30〜『新しいモスクワ』(77分)
17:00〜 シンポジウム 太田佳代子さんと本田晃子さんをお呼びして(入場無料、60分程度)

料金:一般=一回券1500円/二回券2500円

シニア・学生=一回券1300円
アテネ・フランセ文化センター会員=一回券1000円

※各回入替制、当日券のみ販売
※二回券は両作品ご覧いただけます
※シンポジウムはどなたでもご入場いただけます

企画:KINØアテネ・フランセ文化センター


 【監督】
アレクサンドル・イワノヴィチ・メドヴェトキン(1900−89) 
Александр Иванович Медведкин

アレクサンドル・メドヴェトキン
1900年にぺンザで生まれ、1989年にモスクワで亡くなったメドヴェトキンの一生は、ロシア革命とその後に続いたソヴィエトの歴史と並走するものだった。1920年代から諷刺劇を撮ることで頭角を現したメドヴェトキンは、やがて世界映画史上でも稀有な、撮影・編集・上映を兼ねた「映画列車」を編成し、革命の生産現場を奔走した。その成功により1930年代には十分な資金を得て3本の長編劇映画『幸福』、『奇跡の少女』、 『新しいモスクワ』を撮ったのだが、メドヴェトキンのあまりに鋭い諷刺性は時に検閲の対象となった。『新しいモスクワ』以降は再びドキュメンタリー映画に帰り、中国やべトナムにカメラを向けるなど共産主義者として精力的に活動を続けた。
メドヴェトキンはその長い活動期間に長短編合わせて数十本の膨大な作品を残している。しかし活動初期の1920年代から30年代初めにかけての作品は大部分が失われてしまっていること、現存する作品もフィルムの状態が良くないことなどの理由により、そのフィルモグラフィの全体はまだまだ解明途上にある。今回はメドヴェトキン紹介の足がかりとして、本国でも長らく陽の目を見ることのなかった『新しいモスクワ』を上映する。

 【作品について】
『幸福』 Счастье(1934/65分/35mm)

幸福
革命と農業集団化が迫るなか、「幸福」を求めてさまよう貧農フムィリの冒険をロシア民話の豊かなイメージを駆使して寓話的に描いた、ソ連サイレント映画末期の傑作コメディ。すでにトーキー映画が製作されていた1930年代前半にあって、メドヴェトキンはサイレント映画を選択し、ルボークと呼ばれる民衆版画に似た構成の画面を作り出した。メドヴェトキン固有の喜劇性が発揮され、同時代の映画監督エイゼンシテインに高く評価された作品。

『新しいモスクワ』 Новая Москва(1938/77分/DVD)

新しいモスクワ
主人公アリョーシャは、仲間と共にモスクワが成長して新しい姿を自動的に示す装置「動くモスクワ」を開発する。展覧会での披露を目指して列車に乗った彼は、道中で都会的な美しい女性ゾーヤと親しくなる。二人は共に装置を組み立てることになるが、気持ちのすれ違いから仲違いをしてしまい、関係を修復できないまま本番を迎える。二人は和解して、展覧会で成功することができるのか─。
作中で提示される「新しいモスクワ」像はスターリンの怒りを買い、フィルムはお蔵入りとなって、その後一般公開されることはなかった。撮影当時、すでに着手されていたモスクワ中心部の幹線道路拡大計画を背景に、共産主義者メドヴェトキンが独自のユートピアを描いた本作は、スターリン時代の光と闇を体現する作品でもある。

 【シンポジウム登壇者】

太田佳代子(CCA c/o Tokyoキュレーター)
建築編集者、キュレーター。2012年まで10年間、OMA のシンクタンクAMOに在籍。2013年より東京に拠点を移し、2014年ヴェネツィア建築ビエンナーレ日本館コミッショナー。2018年よりCCA c/o Tokyoキュレーター。おもな編集書に『Project Japan: Metabolism Talks…』(Taschen, 2011)など。

本田晃子(岡山大学准教授)
東京大学大学院総合文化研究科修了、博士(学術)。北海道大学スラブ研究センター、早稲田大学高等研究所等を経て、現在岡山大学文学部准教授。専門はロシア建築史および表象文化論。主な著書に『天体建築論——レオニドフとソ連の紙上建築時代』(東京大学出版会、2014年)など。

解説:梶山祐治(KINØ)
東京福祉大学特任講師。専門はロシア文学・映画。博士(文学)。博士論文『ボリス・パステルナークにおけるモチーフの構造研究』(東京大学大学院人文社会系研究科)。ロシア映画に関する論文に「新生ロシアの年代記作家として撮る──アレクセイ・バラバーノフのフィルモグラフィ考察──」『スラヴ文学研究』(vol.15, 2018)など。

司会:伊藤愉(KINØ)


アテネ・フランセの告知ページはこちら

 

第一回上映会当日プログラム

ミハイル・カリク監督作品『さようなら、少年たち』当日プログラム

詳しい情報はこちら
会場案内はこちら

7月30日 当日プログラム

第一回 @STUDIO4
14:30 開場
15:00 上映開始(およそ78分)
16:20 休憩
16:30 解説
17:00頃 終了予定

第二回 @アマラブ
19:30 開場
20:00 上映開始(およそ78分)
21:20 休憩
21:30 解説
22:00頃 終了予定(アマラブでのご歓談をお楽しみください)

 

 

『さようなら、少年たち』予約案内

【7月9日(土) 昼12:00より受付開始】

1、メールにてお申し込みください。
kin0.eiga▪️gmail.com(▪️を@に)
件名:『さようなら、少年たち』鑑賞申し込み
本文:
①お名前
②電話番号
③申し込み人数
④希望の回 1、満席15:00-(@スタジオ4)定員30名 / 2、満席20:00-(@アマラブ)定員12名
(昼の回、夜の回、ともに満席となりました。7/29 16:20 現在)
*電話番号等の個人情報は、本上映会以外での利用はいたしません

2、先着順。一回目も二回目も本当に小さな会場です。締め切りの際はご案内します。ただしすべて手弁当で行っているため、定員オーバーした場合も返信に1日ほどお時間いただく場合もございます。

 

《会場のご案内》

1、15:00-(@スタジオ4
東京都品川区小山4-7-15 石神ビル2F
最寄り駅 南北線・三田線直通 東急目黒線 武蔵小山駅 徒歩4分

 

2、20:00-(@アマラブ
東京都品川区小山3-24-14
最寄り駅 南北線・三田線直通 東急目黒線 武蔵小山駅 徒歩2分

 

 

 

 

 

 

 

第一回上映会情報 

ミハイル・カリク監督作品『さようなら、少年たち』(日本初上映)

日にち:2016年 7月30日

場所:STUDIO4武蔵小山アマラブ (どちらも武蔵小山)

時間: 15:00~(@STUDIO4),   20:00~(@アマラブ)

料金:1000円(リーフレット&ワンドリンク)/ 完全予約制(7月9日昼12:00より受付開始

企画:KINØ

【監督】
ミハイル・カリク Михаил Наумович Калик(1927-)

ソ連雪解け期(*1, *2)を代表する映画監督のひとり。1968年制作の映画『愛する…』が大幅な検閲を受けたカリクは、オリジナルを独力で上映して各地を巡行するがこれが大きな問題に発展。1971年、母国を離れることを決意。以後、ペレストロイカまで全作品が公開禁止処分となる。イスラエル在住。

【作品について】
『さようなら、少年たち』(原題:”До свидания, мальчики”) 1964年製作

戦争の影が忍び寄る1930年代末、三人の少年たちが生まれ故郷クリミアの海辺の街で過ごす最後の夏。少年たちは大人たちの振る舞いを無邪気にまね、士官学校への進学を望んでいる。未来は輝かしいもので、現在の幸福な生活は際限なく続くものだと思われた。当時流行した映画や音楽の引用を散りばめ、さらに主人公たちがまだ知る由もない戦争の記録映像を巧みに挿入しながら、戦前を生きる少年たちの青春時代が鮮やかによみがえる。ミハイル・カリク代表作の1本。

【予告編】
『さようなら、少年たち』(1964)予告編

 

 

*1「雪解け」
1953年、長らくソ連第一書記をつとめたスターリンが死去すると、政治囚の復帰、強制収容所の廃止が始まるなど、全体主義的な体制が弱まり、社会に自由な空気が訪れた。56年の党大会でフルシチョフによるスターリン批判は決定的で、外交政策も西側世界との平和共存路線がとられた。だがこうした路線は国内での反発も強く、64年にフルシチョフが失脚してブレジネフが第一書記に就任すると、政策は反動的な方向へと転換される。なお、「雪解け」という言葉は、イリヤ・エレンブルクの同名の小説『雪解け』(1954)による。

*2「雪解け期映画」
検閲が目立って弱まった雪解け期には、テーマ的にも技術的にも、それ以前の時代には見られなかった新しい映画作品が相次いだ。ただし、検閲が完全に廃止されたというわけではなく、権力側はソ連映画に対して依然干渉する力を有していた。ミハイル・カラトーゾフ『鶴は翔んでゆく』(1957)は雪解け期最初期の映画作品として名高いが、この作品で描かれる、前線へ向かった婚約者の青年を「裏切る」ヒロインは、当時新聞紙上で激しく非難された。男は戦場で英雄的な活躍をする、女はそうした婚約者の帰りを耐えて待つ、それが雪解け期以前で描かれていた、戦時中を生きる理想的な若者の姿だったためである。不安的な動きのカメラなど、演出面でも独自の工夫が発揮されたこの作品は、カンヌ国際映画祭でパルム・ドールを受賞する。まだソ連国内には、西側のように作品が純粋に評価される土壌はなかった。
自由な映像表現を次々に示していく映画作品に対して、社会的な自由化はなかなか進まなかった。そうした乖離を象徴する出来事が、雪解け期最大の傑作ともされる、マルレン・フツィエフ『イリイチの哨所(邦題:私は20歳)』に対してなされた検閲である。主人公が将来に悩む姿はソ連の若者にふさわしくないとして作品はフルシチョフの反感を買い、完成後一年以上上映が許可されず、1965年に大幅にカットされたバージョンが『私は20歳』のタイトルで公開された。完全版が公開されたのは、ペレストロイカ期の88年になってからだった。

 

 

 

 

(このページは随時更新していきます)